タイミング 前編

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私の人生30年間を振り返ると、タイミングが良い時とそうでない時があった


小さな出来事から大きな出来事まで、全てにおいてタイミングは大事な事ではないだろうか


入学卒業のタイミング、社会人になるタイミング、結婚をするタイミング、起業するタイミング


自分でタイミングをとる事が可能な事もあれば、自分の努力ではどうにもならないタイミングもある


さすがに小学校に入学するタイミングは、例外でない限り自分では決められない

けれどその小学校のスポーツチームに入るタイミングは自分で決められる



小学校でスポーツを始めるのは1年生の子もいれば、5年生の子もいる

それは自分で選べる


しかし、中学、高校の場合はほとんどが入学と同時に入部する


という事はそれより前にタイミングを合わせていないと入部後、タイミングがあわなかったという事になってしまう


まぁタイミングひとつ取ってもこれだけ多数の見方がある



それではひとつ、私の人生で絶妙だったタイミングについて少し話をしよう



今日の話は野球ではない



ほんの3年前の話である



大学を卒業し、社会人になった私は野球で飯を食うという事を諦め、サラリーマンになっていた


当時27


2年ほどサラリーマンをし、営業で各地方をまわる仕事をしていた


27歳の春


まだ少し肌寒い京都の街を歩いていた私に一本の電話があった


父からだった


それまでは一度も高知に帰ってこいと言われた事はなかったが、その電話の内容は少し農業も考えてみてくれという事だった


父の電話を切り、変な感じがした私は実家にいる父の弟(おじ)に電話をした


父はアサヒビールから表彰状をもらってもいいほど、今までに数千本、いや数万本ものアサヒビールを体内に入れていた

特に土佐の男は酒飲みで有名であるが、その中でもトップクラスだったと私は思う


私が物心ついた頃から、父のビール好きはとどまるところを知らず、来る日も来る日もアサヒビールに貢献し続けた


なぜアサヒだったかは聞いた事はない


まぁそんな生活を30年ほど続けていたため、遂に肝臓という臓器が働いてくれなくなったらしい


高知に帰り、病院に向かった


父の顔色を見て、声を聞くと、とても働けるような状態ではなかった


私の中では〝このタイミングか〟


そう思った



つづく



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